まずは恨みを感謝に転換する
人間、生きていれば、一人や二人許せない人が出てくるものです。
そして、人を恨む気持ちはひとたび持ってしまうと苦しいものです。
苦しいから手放そうと思っても、そう簡単には手放せない……。
人間が持つ気持ちで一番波動が高いのが感謝であることはこれまでの記事で何度かお伝えしていますが、この恨みを感謝に変えてしまうのが恨みを手放すのには一番おすすめです。
そんなこと言われても無理というのもわかります。恨む気持ちを持つに至ったのは、それなりの理由や経緯があってのことですから。
でも、恨みの想念をずっと持っていても何のプラスにもなりません。
そんなときは自分が恨みを持った出来事に何か学びになったことがないかを考えてみてください。
なかったとしても、ここは無理やりにでも、でっちあげでもいいのでひねり出してみてください。
そして、その学んだことを感謝に変換するように考えます。
そうすると不思議なことに恨みは消えて、感謝の気持ちがわいてきます。
すべての経験は学びである
私は母の介護をしていて、いつも被害者意識を持っていました。
「どうして私がこんなことをしなければならないの?」
「本当に何もかも時間のムダ!」
そして、いつしか母に恨みの気持ちすら持つようにもなっていました。
でも恨みの気持ちなど、大切な母に持ちたくない。
人間、魂レベルでは、自分の芯の部分では、そんな負の感情を持ちたくないと思っているはずです。
そこでこの恨みを感謝に変換する方法の登場です。私は自分が介護をすることでどんな学びがあったのかを考えてみました。
実際、介護の経験は学びだらけです。
どのように人は老いるのか。認知機能が衰えると人はどうなるのか。
母は心臓を患い、人工弁をつける大手術をしました。手術は成功し、幸い今は心臓の機能にとくに問題はありません。
私は手術が成功すれば、母が普通に歩けるようになると単純に考えていました。
というか、歩けるとか歩けなくなるとか、そんな発想すらありませんでした。
でも80歳を超えた高齢者が大手術を受けた場合、歩けるようになるまでがまた一苦労です。
そのまま歩けなくなったとしても決しておかしくはありません。
母は手術後、リハビリを経て多少歩けるようになりましたが、それから3カ月後尿路感染症にかかり入院。退院5カ月後に高齢者の通過儀礼といっていい大腿骨骨折をし、ほとんど歩くことができなくなってしまいました。
それは、自分が目の当たりにしなければわからないことで、それはいつかの自分かもしれません。
老いていくことの大変さ、あなたもいずれはこうなっていくかもしれないよ、もしくはこうならないようにという教訓めいたものを、母は身をもって見せてくれたと思うのです。
物事は捉え方と考え方しだい
また、親が突然の事故で亡くなったり、心筋梗塞、くも膜下出血などで急死したりすると、子どもは親の死に対する心構えがなかったぶん、それはそれで苦しい思いをすることになります。
介護をすれば、多少は最後の親孝行ができたという思いを持てます。
そう考えたら、自分は最後に親孝行ができた。
そんなふうに考えているうちに私は、
「親孝行をさせてもらっている」という思いにたどり着きました。
「させていただいている」といってもいいかもしれません。
そう考えられたときに、恨むなどという気持ちはもうなく、「感謝」の気持ちが自然にわいていました。
どうでしょう。
やはりすべては捉え方、考え方しだいではないでしょうか。
恨みという負のエネルギーに満ちた感情を考え方しだいで、一番波動が高い感謝に変換できる。
この考え方を実践すれば、人生は感謝で満ちたものになっていくのではないかと思うのです。