在宅介護は洗濯に始まり、洗濯に終わる
私はこれまで「介護とは葛藤だ」とか「介護は割り切ることだ」など、自分なりの介護に対する抽象的な結論を折に触れ書いてきました。
介護にはそんな自分と向き合う中での闘いがある一方、物理的に圧倒的にこれとの闘いだというものが私の場合存在します。
それが「水」との闘いです。
私のワンオペ在宅介護は、洗濯に始まり洗濯に終わるといっても過言ではありません。
朝起きると、まず洗濯。朝一7時にケアをしてくれるヘルパーさんが帰ったあと、尿汚染したパジャマが洗濯かごに入っていて、その洗濯から一日がスタートするパターンが多いです。
洗濯機を一日多いときで4回回すこともあります。
洗濯するのはほとんどが尿汚染したパジャマと肌着と防水シーツです。
気がつけば洗濯機の前にいることが少なくありません。人生でこんなに洗濯機の周りで費やす時間が長い時期は、もう二度とないだろうと思います。それほど洗濯をしているという印象です。
母を水から守らなければならない理由
また、私には母に水分をとらせ、なおかつ水から守らなければならない役割というか使命のようなものがあると思っています。
人間の体は60%が水分でできていて、人間にとって水が不可欠なのは言うまでもありません。人間にとって命の源です。
とくに高齢者が脱水症状を起こすと命にかかわるので、普段からこまめな水分補給が欠かせません。
これまで母が体調を悪くして救急外来に搬送した際、決まって医者から「脱水症状を起こしています」言われました。
こちらは水分を与えているつもりでも、いつの間にか脱水症状を起こし体調を崩してしまう。
点滴で済んで入院までは至らずとも、そんなひやっとする経験が何度もあり、私の中に、とにかく母を脱水状態にしてはならないという意識が強く植え付けられました。
そうして母が入院をしなくなった2018年5月くらいから、いつでものどが渇いたときに水分が取れるよう、介護ベッドの柵に引っ掛けたプラスチックのラックの中に、ストローとフタ付きの介護用カップに常に水を入れて置くようになりました。
それで母が飲みたいと思ったときにいつでも水が飲めるようになったのはいいのですが、いくらこぼれないようにフタがついて工夫された介護用のカップでも、認知症の母がこのカップをうまく扱えるはずはなく、どうしても水をこぼしてしまいます。
そして、こぼすのが布団の上なのか、布団の中なのか、床の上なのかによって事態は変わってきます。
布団の上にこぼせば、その布団を乾かして、また別の布団を持ってこなければならない。ひどいときはコインランドリーへ乾かしに持って行くこともあります。
パジャマまでぬらせば、また洗濯です。夏ならそれほど問題はないものの、冬はぬれたままの布団をかけていると風邪を引く原因になりますし、いつも水をこぼしていないかチェックする必要があるのです。
ぬらさないで! こぼさないで!
とにかくパジャマや布団を水でぬらさないで! 水をこぼさないで! 母が家にいる限り、私はいつもそのことを頭のどこかで気にしています。
私が母のもとへ行くとき、気にしているのは、
・顔色はどうか
・呼吸が苦しそうではないか
この体調面の基本的な2点があり、その次に、
・パジャマか布団に水をこぼしてぬらしていないか。床に水をこぼしていないか。
意外にもこれが3つ目のチェックポイントだというのが私が母を介護をしていての実感です。
介護される人の状態によって違ってくるとは思いますが、他の在宅介護をしている人はどうなのだろうと質問してみたいところです。「いつも水と闘っていませんか?」と。
少なくとも私の介護は水との格闘であることは確かです。