介護の終わりをめぐって思うこと

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介護はある日突然やってくる

私のおひとりさまワンオペ介護は2016年4月から始まりました。

介護は正直、親とはいえ人のことであって自分事ではありません。自分で自分についてわからないことも多々あるのに、他人の、それも自由に動けない、理解力が著しく低下した認知症の人の身になって想像し、考え、行動する。

介護以外で経験しようのない、人に訪れる人生で最大級の難題といっていいと思います。

2016年2月に母が心臓の大動脈弁狭窄症で倒れたときの驚きは、今でもはっきり覚えています。

母はもともとぜんそく持ちで、その年明けくらいから体調が明らかにすぐれませんでした。

母は地域の麻雀やコーラスといった高齢者サークルに入り、古くからの友人も大勢いて、とても社交的な人です。

倒れる前日も近所の友人のお宅で麻雀をして、その帰り道、遊歩道のベンチで休み休み帰ってきたというのを聞き、どうもおかしいとは思っていました。

それでも、人間はなんでも自分の都合のいいように考えてしまうもので、

「ぜんそくがまた出てきているんだろう」とか「年も年だし、体調が悪いときもある」と、それほど重く受け止めていませんでした。

実際には母の心臓は悲鳴を上げていて、ついに限界がきて、翌日救急車で近所の総合病院へ搬送されたのです。

介護とは葛藤である

その後ICU(集中治療室)から一般病棟を経て、心臓手術へ向けいったん退院したときから私の介護生活が始まったわけですが、広い意味でそこから一日も心が休まったことはありません。

「いったいいつまでこんな日々が続くんだろう」
そんな考えが、日常の中でふと起こります。

でもそのたびに、「いやいや、そんなこと考えちゃいけない」と引っ込める。

頭の上にまるでマンガのように、天使の自分と悪魔の自分が出てきてやり合う……。そんなことはしょっちゅうです。

「介護とは葛藤である」

これまでの経験から介護に対するそんな哲学めいた結論の一つも生まれました。

介護の終わりは介護をしている人の「死」でやってきます。悲しくはありますが、それまで介護者は解放されることはありません。

親が亡くなるのは悲しい。できることならいつまでも生きていてほしい。でも亡くならなければ自分が介護から解放されることはないのです(以下延々この堂々巡りとなります)。

この思いはどこまでも鉛のように重く、介護者はきっと心の芯の部分にこんな思いを抱えながら日常生活を送っていると思います。

介護すると同時にカウントダウンは始まっている

介護を子育てをするようにすればいいという意見を見聞きすることがあります。

人間に対して持つ根本的な優しさや慈しみを持ってすれば、どちらも似たようなものだろうということでしょう。

でも、それは介護がなんたるかを知らない人の意見だと言わざるを得ません。

なぜなら、子どもはできることがどんどん増え、いずれ成長して親の手を離れていきます。そしてなにより子どもにはまだこの先何十年という未来がある。

一方、介護の未来は詰まるところ「死」です。そして、介護というものが始まったということは、早いか遅いかの差こそあれ、その終わりまでのカウントダウンを明確に家族が意識し始めるということでもあるのです。

カウントダウンは始まったのに、今どの時点にいるのかわからない。あと3650日(10年)なのか、もうすでに30日まできているのか。

介護者が現在どの時点にいるのかわからないままに、カウントダウンの日々を過ごしているというのが、介護のなかにいる家族の状況です。

また、できないことがどんどん増えていくのも、とても悲しいです。

その過程をつぶさに目撃していく家族は、言葉では言い表しようのないつらさがあります。

それでも介護は続く──。終わってほしいけど、終わってほしくない。このループは延々と続き、恐らく介護が終わるその日まで続くのだと思います。

 

 

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