朝、気づくと母が倒れていた
このところ母のわめき、叫びの傾向が増えていることを少し前の記事に書きました。
朝昼晩、夜中、明け方、いつ起こるかそれはわからず、2時間くらいは平気でわめき叫び続けるのです。
「誰か来てぇーーー!」
「ヘルパーさぁーーん!」
「うわああーーー!」
「あーーーーー!」
「アユミちゃーーーん!」
「アユミィーーー!!」
まあ、だいたいこんな感じです。
またショートステイに行かせる日まで、とにかく指折り数えて待つしかない。
それまで耐えるしかない。
私もだんだん追い詰められるようなストレスにじわじわやられていました。
ある朝、相変わらず母はわめきまくり、大声を出していましたが、そのうち声がやんだのでやれやれと胸をなでおろしていました。
そして、そろそろ(といってもすでに10時半にはなっています)毎朝食べさせている果物でもあげにいこうかと母のいるリビングへ向かうと、台所のワゴンの前で母が倒れ込んでいたのです。
(部屋はいわゆるLDKです)
介護ベッドまでから台所のワゴンまでの距離は私の足で5歩ほどで、2.5~3メートルといったところでしょうか。
母はつたい歩きがやっとできる状態で、ベッドとワゴンの間に位置する食卓をつたい、ワゴンの前まで歩いていったようです。
ワゴンの上には食品がたくさん乗っていて、中には缶詰やレトルト食品が入っています。その前で力尽きてストンと腰から落ち、倒れてしまったようでした。
腰から崩れて落ちるので、バタンと派手に倒れる、転ぶのではなく、パタンと横たわるといったほうが正しい気がします。
だから、骨が折れはしないものの、だらっと寝そべってしまう体勢になってしまい、もはや私がベッドまで運んでいくのは不可能です。
すぐにヘルパーさんの事業所へ電話し、ベッドへ運んでもらうようお願いしました。
こうして「事件」は起こった
事業所は自宅から徒歩で3、4分のところにあるので(当時)、10分もするとヘルパーさんが二人来てくれ、ベッドに戻す作業に入ってくれたのですが、このとき事件は起きてしまいました。
一人のヘルパーさんが両足を持ち、もう一人が上方から両脇に手を入れ、せーので引き上げた瞬間。
ボキボキボキッ!!
というものすごい音がして、母の、
「ぎゃーっ!!」
という声が部屋中に響きました。
私は一瞬、何が起きたわからなかったのですが、
〈あー、終わった〉
〈あー、やっちまった〉
という思いだけがして、目の前が一瞬のうちに真っ白になりました。
何が起きたかはわからないけれど、終了――ってやつです。
〈肩が脱臼した?〉
〈首の骨が折れた?〉
いろんな思いが頭の中にぐるぐる回り、
ヘルパーさんに次の瞬間思わず、
「もう、勘弁してくださいよーー!!」
とだけ叫び、そのへんにあった椅子にへたり込んだのです。
介護の現場では誰も悪くない
結論からいって、脱臼もしていなくて、首の骨も折れておらず(考えてみればそうなったら即死ですよね……)、肋骨が折れたようでした。
今回もレントゲンを撮りには行っていないので、主治医で訪問医のあくまで診立てです。
以前から書いているように、高齢者でしかも骨のもろい人の場合、くしゃみをしただけであばら骨が折れるとか、寝返りを打っただけで骨が折れるというのはよくある話です。
加えて母は50代くらいから喘息を疑い、長年ステロイド剤を飲んでいるせいもあって骨が異様にもろくなっており、すぐに折れてしまう確率が高いときています。
ということで、とてもヘルパーさんを責める気にはなれませんでした。そもそも母が倒れ込んだからこうなったんだし、介護で起こる不測の事態は防ぎようがないのです。
もちろん細心の注意は常に払ってもらいたいけれど、もちろんわざとではないし、母をベッドに戻してくれようとして起こったアクシデントです。誰が悪いわけでもありません。
母はどうやらおなかが空いて、台所のワゴンまで食べ物を漁りに行ったようです。
母を発見したとき、ワゴンの扉が開いていて、そこから引っ張り出したレトルトの箱がいくつも散乱していました。
ワゴンの前にはたまたま買ったばかりの5キロ入りの米袋が置いてあり、母がそれを枕に寝ていた姿がなんともシュールでした。
再び始まった寝たきりの生活
けれども、ふと考えてしまいます。
私が母のおなかが空いたことを察して、もっと早く母のもとに行き朝のルーティンの果物を食べさせていたら、こういう事態にはならなかったんだろうなと。
でも、私はもう母のわめき声、叫び声に辟易していた。母のそばになるべく近寄りたくありませんでした。だから10時半までも母を放置していたのです。
けれども、私は自分も責めません。
そばに寄っていっても面倒な要求ばかりでまたうんざりするだけ。なるべく近くに行きたくなかった。
それが私のその時の気持ちで、これもまた仕方なかったのです。
ただ、現実には骨が折れたことで、また母は寝たきりになってしまいました。
それはイコール、私の負担の増大を意味し、再び体も心も疲れとストレスで満載の日々が始まるということでもあります。
やっぱり早く行けばこんなことにはならなかったのかな。
介護はそんな小さな後悔をいちいち数えあげていてはやっていられません。
こうなってしまったからには、また淡々と寝たきりの母を介護するしかないのです。