母×娘の介護にありがちな構図
母は2017年12月から巡回型の訪問ヘルパーさんに1日5回、お世話をしていただくようになりました(それぞれ1回につき時間は約20分です)。
母はヘルパーさんに対して、おむつや尿漏れパッドの交換時にイライラした態度を取る以外、甘えたり、ぐずったり、激しい気持ちを表すことはあまりないようです。
あまりないとはいえ、母が快適でいられるようにおむつを交換してくれるヘルパーさんに失礼な態度を取ることは心苦しく、申し訳なく思いながら、ただただ感謝する毎日です。
母の認知症の症状がどの程度なのかは認知症の診断を受けて以来検査をしたことがなく、他の認知症の人をよく見たこともないのでわかりません。
ただ、短期記憶がほぼないのは確かで、
「今日は何曜日? 何日?」
と聞くのが母のお決まりのセリフです。
介護ベッドから目につくところに、書き込みができるくらいの大きめのカレンダーをかけてあるので何月かはわかるようですが、何日で何曜日でというのは認識できないようです。
これは認知症の人によくいわれることで、昔の話は本当に覚えています。
そして、だいたい合っています。
私を娘のアユミだとわかっているのは、この介護をしているうえで大変重要なことです。
どこかの時点で私を認識できなくなっていたら、とっくに施設に入れてしまっていたかもしれません。そのくらい自分を認識してくれているのは大きいです。
母は自身については、
「私はどうしてこんなに体が弱くなってしまったのかしら。頭はぜんぜんぼけてないのに」
と言っています。
そういう認識のようです。ぼけたもの勝ちとでもいうのでしょうか(笑)。
母がヘルパーさんにまあまあ合格点の態度が取れているのは、もともとの性格もあると思います。とにかく外面がいい。
昭和一ケタ生まれですから、世代的に人様にはしっかりしたところを見せたいという部分もあるのだと思います。
その分、自分の中にあるいろいろな思いはすべて私にぶつけてきます。これは介護における母親×娘ケースのあるあるで、娘が精神的に参ってしまう大きな要因になっているのではないでしょうか。
私もそれが相当なストレスになり、つらいところです。
「死にたい」というのは生への執着の裏返し
母は「もう死んでしまいたい」と言うこともたまにあります。
確かに、その気持ちがわからないではありません。
今は週2回のデイサービスに行く以外、介護ベッドとその横にあるポータブルトイレを行き来するだけの毎日です。
動作的にはつたい歩きがやっとでき、自分で食べる、飲む、排泄することができます。
恐らくこれが在宅介護のできるギリギリのラインではないでしょうか。この状態だから、なんとか在宅介護ができていると思います。
それ以外はすべて誰かにしてもらい、与えてもらわないと生きていけない。
食べたいものを冷蔵庫から出すこともできないし、水1杯くむこともできません。
認知症で、あるレベルまでものの理解ができなくなくなっているとはいえ、こんな生活のどこが楽しいのか。
こんな状態なら、もう死んでしまいたいと思うのもある意味仕方ないと思います。
でも母にもきっと葛藤があるはずです。死んでしまいたいと思う一方で、まだ生きたいという気持ちもあるでしょう。
そうでなければ、私に「死にたい」とは言わないと思うのです。
まだ生への欲求や執着があるから、そういう言葉が出るのだと私は解釈しています。
だいたい死の淵に陥ってしまったら、言葉を発することなどできません。言葉が出るだけ元気な証拠です。
母の性格からして、そんな言葉を発するのは「かまってほしい」というアピールも多分にあると私は思っています。
そして、私しか自分のどうしようもない気持ちをぶつける相手がいない──。
その気持ちも頭で理解はしていますが、やはりぶつけられると、こちらもどうしようもない気持ちになってしまう。
そういうときは「はいはい」などといなして、その場を離れることにしています。
自分の波動が下がる状況からは避難する
母のかまってほしい欲求に対して私が同じところまで降りていって、付き合うのは避けたい。
たとえ認知症という病気であっても、母が「死にたい」などというマイナスの言葉を発してきたら、私はそのマイナスのシャワーを浴びるのはできるだけ避けたいと思っています。
そんな低い波動を浴びてしまったら、自分の波長も下がってしまうからです。
もちろんそんなときばかりではなく、機嫌のいいときもあるし、にこにこ笑顔でいることもあります。
そういうときは私もそばに寄っていって、「いい娘」でいるようにしています。
相手は鏡といいますが、私が穏やかに対すると、母も穏やかでにこやかになるような気がします。
だから、介護もいいとこ取りでいいと思うのです。
任せられることはヘルパーさんに任せて、機嫌のいいときに話しかけたり世話を焼いたりする。
自分の波動が下がる状況は避けて、いいとこ取りで。
そういう自分の中に何かしらポリシーを持ち、線引きをする。そんな姿勢も在宅介護を続けていくうえでとても大切だと思います。