Introduction

この5年間を振り返って~自己紹介にかえて~

介護する側の人生のステージは今どこなのか

はじめまして。

私は2016年から、現在87歳になる母親のおひとりさまワンオペ在宅介護をはじめました。2021年2月で6年目を迎え、いまも現在進行形で介護をしています。

一口に介護といっても100人いれば100通りの介護があります。

まず、介護されるのは誰なのか。「私」から見たとき親なのか、配偶者なのか。

親だとして、認知症はあるのか、介護認定はどの段階なのか。自力で歩けるのか、排泄は一人でできるのか、食事は自分で食べられるのか。

一人で住んでいるのか、子どもと住んでいるのか、子どもとその家族と同居しているのか……。

介護する側から言わせてもらうと、介護する側がどんな人生のステージにあるのかも、ものすごく重要です。

まず現在の年齢。40代、50代、60代、70代、どの年代かによって介護は全く違ってきます。

結婚しているか、子ども、きょうだいの有無。仕事をしているかも大きくかかわってきます。

そして在宅で介護するのか、通いでするのか、遠距離なのか……。

最後に、これはあまり言われてきていないと思うのですが、最終的には介護する側が介護する人を、人として、あるいは親として好きかどうか、感謝しているか否か。

これが案外いろいろな意味で大きな分かれ目になってくるのではないかと、介護を続けてきて感じています。

介護に定義も正解もない

介護はこのように「する側」「される側」の状態や事情が複雑に絡み合い、進んでいくものです。

そのなかで「する側」が、小さいものから大きなものまで膨大な数の選択と決断を繰り返していきます。

上に述べたように誰しも置かれた立場や条件が違うので、一つとして同じ介護はないですし、「こう」という定義もなければ正解もありません。

この5年間、母にはさまざまな段階があり、ご多分に漏れず私も小さなものから大きなものまで選択と決断を繰り返してきました。

例えば小さいものとは、毎日何を食べさせるかにはじまり、パジャマをいつ長袖から半袖に変えるか、紙おむつの予備をいつ買い足すか、毎日エアコンの温度は何度に設定するかというようなもの。

大きなものはいうまでもなく、どの病院で手術を受けるか、どの病院に入院させるか、ショートステイの施設をどこにするか、救急車を今呼ぶべきかというようなものです。

自分の選択のちょっとしたさじ加減が、目の前の人の「あとどのくらい生きられるか」を左右する。そんな、人の命がつねに自分の手の中にあり、握っているような感覚。

介護する人は少なからずそんな感覚を持つのではないでしょうか。

私は自分がこれまで生きてきた中でしたより多くの選択や決断を、このずっと短い5年間でしたような気さえするのです。

それは命に直接かかわる類のことも多く、それなのに考える時間に猶予はなく、次から次へ決めなければならないことが押し寄せてくるので、そんな感覚に陥ってしまうのかもしれません。

自分が望む望まないにかかわらず、四方八方からボールが絶え間なく飛んできて、それをひたすら打ち返していく。そんなイメージです。

母の介護ですべてが一変した

母が心臓の大動脈脈弁狭窄症が原因で救急搬送されたのは、忘れもしない2016年2月25日のことでした。

そこからの大手術、尿路感染症による入院、大腿骨骨折と手術。度重なる肺炎やインフルエンザでの入院……。

母に次々に起こる出来事に私はただ翻弄され、介護という渦の中でもがきながら、その場を、その日を、しのいで乗り切っていくしかありませんでした。

話はさかのぼり、私は大学卒業以来、30年余り編集とライターの仕事をしてきました。

もともと本や活字そのものが好きで、好きな仕事につけ、それらに向き合う日々──。介護をしなかったら、私はそのまま何も疑わずその道を歩んでいたと思います。

それが母の介護で、私の仕事を含め生活は一変してしまいました。

母を簡単に死なせたくない

2018年まで振り返る余裕は一切ありませんでした。

近所の比較的大きな総合病院に救急搬送されたとき、母の心臓はすでに相当悪い状態でした。心臓の弁が硬くなり、開閉できる働きが通常の人の2~3割程度になっている。なるべく早く手術をしないと危険だと医者から告げられました。

それから程なく、偶然知り合ったある人のアドバイスでセカンドオピニオンを受けたという不思議な出来事もあり、5月初めに考えうる最高の医者に人工弁置換術の執刀をしてもらうことができたのです。

もし、手術がなかなか受けられなかったら、もし、それほどスキルの高くない医者の手術を受けていたら……。

それはたらればの話ですが早期に母は最高の手術を受けられ、心臓が再び正常に機能するようになりました。母は手術のおかげでなんとか助かり、命拾いをしたのです。

今から思い返すと、私は母の手術の成功を受け、
「こんなふうに最高の手術を受けることができて成功したんだから、母を簡単に死なせるわけにはいかない」
というスイッチが入ってしまったようにも思います。

ずるずるとはまった介護沼

そうして無事に退院して自宅に戻ってきてから、私の本格的な介護生活が始まりまったわけですが、そのとき母にはもうはっきり認知症の症状が出ていました。

物忘れのレベルを超えた記憶力のなさ。そしてとにかく怒りっぽい。術後には「せん妄」の状態もしっかりありました。

私はこれまで7年前に亡くなった父を半年自宅で介護した経験があったものの、父はありがたいほど手がかからなかったので、介護はほとんど未経験のようなものでした。

これも誰もが経験するとおり、子どもは親が認知症だとはなかなか認めたくないし、受け入れられないものです。実際、私もそうでした。

母が認知症だなんて受け入れられないし信じたくない。でも母の尋常ではない言動に反応してつい感情的になってしまう……。

恐らく心臓手術の退院以降、そうやってずるずると介護沼にはまっていったのです。

このブログに書いていくのは、それから私が経験したことです。

当時を思い起こすと、もう遠いことのように感じます。

ぼろぼろになって、わめき散らして、泣いて叫んで、物に当たって……。何百回そんなことがあったかわかりません。

今ではそんな頃の自分を俯瞰で見られて、「よく頑張ったよね」と声をかけてあげられるくらいに少しはなれています。そして、越えられない壁はないのだなとも思えています。

介護で考えさせられた「人生の意味」

そんなふうになれたのは、この5年で介護にまつわる一通りのありとあらゆる経験を積んだというのもありますし、介護に関する書籍を読んだり、介護以外にもインターネットでさまざまな人たちの生き方や人生の考え方に触れたり、学んだりすることで、救われたのも非常に大きかったです。

介護をすると、どうしても被害者意識を持ってしまうものです。

「どうして私だけこんな思いをしないといけないの?」
「これってなんの罰ゲーム?」
「こんなことをするために生まれてきたわけじゃない」

そんなどす黒い煙のような思いを鎮めようとしても、どうしてもフタはできず、煙はもくもくと立ちのぼってきてしまう。

介護をすると、どうしたって自分の人生の意味について考えざるを得なくなる気がします。

自分ではない誰かのためにばかり動くようになるから、逆に自分のことを考えるようになるとでもいうのでしょうか……。

自分のことがしたくてもできない。時間もないし、余裕もなくなります。そんな時間が積み重なるほど、

「私の人生って何?」

そんな問いかけが頭の中をぐるぐるめぐるようになるのです。

介護に時間をとられればとられるほど、自分の人生の意味を考えてしまう……。

そんな人も多いのではないでしょうか。

介護は人を鍛える

今は自分から求めさえすれば、インターネットでいくらでもためになる情報を得ることができます。本当にいい時代だと思います。

介護は恐らく人が経験する人生の出来事で最大級に大変な難題です。
かくいう私は、この経験で自分のバージョンが上がったというか、

「ちょっとは私も成長したかな」という実感が多少はあります。

そのくらい介護が人を鍛えるのは事実です。

そんなふうに思えたことはこれまで30年余り仕事をしてきて一度たりともありませんでしたし、きっと考えもつかなかったことです。

ただ、いくら介護が人を成長させるからといって、私は誰もが介護を経験したほうがいいと思っているわけではありません。

介護をする人はするだろうし、しない人はしない。運命論者ではないですが、私の場合すでに人生に組み込まれた規定事項だった気がします。

介護をしたからエラいわけでもないし、する必要のある人はする。それだけのことだと思うのです。

逆らってもどうしようもないものを受け入れる、そういう境地に達するまでがなかなか大変な道のりなのかもしれません。

私は介護をするまで、編集とライターの仕事を自分の天職だと信じて疑いませんでした。

それなのに、介護をはじめてそうは思えなくなった。思えなくなったというより、介護をしているうちに天職だと信じていた仕事への情熱ややる気は徐々にそがれ、確実になくなっていきました。

介護にはそんなすさまじい破壊力があります。

介護に比重を置いていかなければ、自分も母も立ちいかなくなっていく過程がじわじわとあり、私は長年のアイデンティティーが崩壊していくようで、母を恨んだこともありました。

今となってはそんなアイデンティティーなんて、なんでもなかったのですが。

介護の行方と着地点

私の介護はどうやって着地するのか、母をどのように見送ることになるか、幸か不幸かまだその予想はつきません。

今何の予兆がなくても、ある日突然その日はやってくるのかもしれない。こればかりは神のみぞ知ることです。

私は現在介護の真っただ中にある人や、今後介護をすることになりそうな人に、少しでも私の経験で参考にしてもらえることがあればしていただきたいし、今大変な思いをしている人の気持ちが少しでも軽くなるお役に立てたらと考えています。

そんな思いを込めて、私の介護経験や介護を通して学んだことをつづっていきたいと思います。

お付き合いいただければうれしいです。

原田亜弓