腰の痛みで救急外来へ
この3週間ほど母の機嫌が悪く、デイサービスに行きたがりませんでした。
虫の居どころが悪いのか、単に気分の問題なのかと思っていましたが、どうやら腰の痛みからきていたようです。
体の痛みというのは他人がどうすることもできないし、身体的にとてもつらい症状です。
原因がわからず総合病院の救急外来に救急車で運び、検査をしてもらいました。
ところがCTを取ろうにも痛みでじっと台の上で静止する姿勢がとれないので撮影ができず、原因はわからないと医者は言います。
腎臓機能の低下による結石ができているかもしれないし、骨にひびが入っているかもしれない。血液検査の結果もけっしていい値ではないけれども、入院するほどのことでもないということでした。
今日くらい入院させてくれればいいのにとこちらは思いますが、治療が必要でなければいまどき病院は一晩でも入院させてくれません。このコロナ禍ではなおさらです。
痛みがひどいので、寝たまま移動できる民間の救急車をその場でスマホで検索して呼び、帰途に着きました。
(30分ほどの移動で1万5000円もかかりました!)
想像を超える高齢者の骨のもろさ
後日、訪問診療医の診立てでは、やはり背骨のひび(いわゆる圧迫骨折)が疑わしく、治療といってもとくになく、ひたすら痛み止めを飲むしかないとのこと。
治癒には3カ月ほどかかると言われ、軽くめまいがしました。
母は痛みで座位を取れず、起き上がることもできません。
「このまま寝たきりになってしまったらどうしよう……」
その思いだけが頭の中をぐるぐると駆けめぐります。
高齢者の骨のもろさは想像を超えるものがあります。寝返りを打ったり、咳き込んだりしただけであばらが折れるなど、よくある話だそうです。
母も、どのタイミングで骨にひびが入ってしまったのかはわかりません。
これから3カ月、なんとか頑張って回復してほしい。それだけを願い、介護を続けていくだけです。
介護をしていくうえでつらいのは、時間の経過とともに身体的にできることがだんだん少なくなっていくことです。
その中でも大きな分かれ目となるのが歩行でしょう。母は比較的早い段階から歩くことができなくなり、車椅子がないと外出できなくなってしまいました。
それでも、つい最近まで家の中でつたい歩きがやっとでもできていて、その期間が今まで続いていたのはとてもラッキーなことだったんだと、今この状態になって思います。
今は起き上がるのが難しいだけでなく、自分でお箸やスプーンを使って食事をとることもできません。
まずは痛みがなくなって、座れるようになる。そして、一人でポータブルトイレで用を足せるようになる。
そこを私も目標として、これから頑張っていくつもりです。
「不幸や悲劇は存在しない」
さて、最後に今回のタイトルについてです。
介護をしていると、次から次に新しい問題が起こります。すべては段階ごとに初めて起こることですから、介護人はただ起こる出来事を飛んできたボールを打ち返すようにその都度対処していくしかありません。
けっこう瞬発力がいるし、迷っている悠長な時間もありません。その時々の判断でやっていくしかないのです。
私はきょうだいもいないし、一人ですべてを判断しないといけないというのが、なかなかきついところでもあります。これまでもうこれ以上やっていけないと思ったことも何度もありましたし、これ以上無理という思いも山ほどしてきました。
でも、なんとかなるものです。
その時目の前にあるやらなければならないことをやる。結局それしかないような気がします。
先のことを考えても仕方ない。ひたすらボール(介護に起こる問題)を打ち返していれば、いつかゲーム(介護)は終わるのですから。
フランスの思想家の言葉に、
「不幸や悲劇は存在しない。そう思う心があるだけだ」
というものがあります。
まさにそのとおりで、人生にはただ出来事が起こるだけで、それは不幸でも悲劇でもない。そこに意味づけをするのは当事者である本人です。
だから私もどんなことが起こっても、「これが今私の人生に起こっていることなんだ」と事実だけを淡々と受け止めて、乗り越えていこうと思います。
介護は本当に人を強くします。
私は介護をしていなかったら、ここまで多くのことを学べませんでした。
人生に起こることに一つもムダはないし、どんなに葛藤したとしても、結局すべてこれでよかったと思えるようになる日がくると信じています。