気を付けたい高齢者の「いつの間にか骨折」
高齢者の“あるある”に「いつの間にか骨折」があります。
高齢者は骨がもろくなっているので、文字通り「いつの間にか」骨折してしまうのです。程度の差こそあれ、大腿部、背中、腰の骨あたりがそうなってしまうと、とたんに生活に大変な支障が出ます。
治療といってもとくになく、痛み止めの薬を飲んで安静にして自然に痛みがなくなるのを待つしかありません。せいぜいコルセットをするくらいのものです。
母はこの数週間どうも調子がよくなく、腰が痛いといってデイサービスに行くのをイヤがっていました。これが兆候といえば兆候だったのです。
そんな状態が2、3週間ほど続き、ある日ついに起き上がれなくなってしまいました。
微動だにできず、ちょっと動かそうものなら「痛い! 痛い!」と大騒ぎするレベルです。
痛みで大騒ぎする母を救急車で自宅から20分くらいの総合病院に運び、CTを撮っても(痛みのあまりじっとしていられず撮影はきちんとできませんでしたが)、原因はわからず。
後日、訪問診療をしてくれているかかりつけ医の診立てでは、恐らく背中か腰の骨にひびが入る、いわゆる圧迫骨折だろうとのことでした。
全治するには3カ月ほどかかるだろうと……。
若干、気が遠くなる感覚をおぼえました。
一人でトイレに行け、一人で食事ができるありがたさ
それから介護ベッドを自動で寝返りができる仕様のものに変え、母の寝たきり生活(限定だと信じたい)が始まりました。
思えば2016年2月に母が心臓病で倒れてから10回ほど入院をしましたが、2018年4月に肺炎で入院したのを最後にこの2年半ほど入院はせず、なんとか自宅で過ごせてきました。
介護ベッドの横のポータブルトイレで用を足せ、そのすぐ前の食卓の椅子に座って一人で食事ができ、ベッドに戻って横になれる。
この一連の動きのできることが母にとっても私にとっても、どれだけありがたいことだったか今身にしみてわかります。
3カ月でまた元のようになれる保証はありません。でもそうならなければ、私の体と精神は今度こそもう限界だろうと思います。
起き上がれないということは、座位が取れないのでベッドの背を起こして誰かが物を食べさせないと食事をとれませんし、トイレにも行けないので排泄はオムツ内ですることになります。
母もつらいでしょうが、介護する側にもこれまでとは比べ物にならない負担がかかってきます。
そのくらい一人でトイレに行けて、一人で食事ができるというのは介護する側にとってありがたいことなのです。
まだできることを数えて感謝する
それができていたのに、私はあれやこれや介護が大変だと文句を言っていました。
もちろん、人によっていろいろな段階がありますし、入退院を繰り返した最初の2年のほうがこれ以上に大変だったのは事実です。
それでも、またなかなか大変高いハードルがやってきたなと、目の前の現実を見てあれこれ思いをめぐらせます。
「ああ、一人でポータブルトイレに行けて、ご飯が食べられるってすごいことだったんだ。本当にありがたいことだったんだ」
そうではなくなって、初めてそのありがたさを知る。
当たり前だったことが当たり前でなくなって、当たり前のありがたさを知るのだと。
こうならないとわからないのが人間の愚かさなのでしょうか。
それでも母はまだ自力で食べ物を咀嚼して、嚥下して食べることができる。
おかゆやヨーグルト、ゼリーのような軟らかいものなら可能です。
痛みで仰向けにしか寝られなかったのが、昨日はようやく横を向いて寝ることができました。
寝返りが打てるようになったのは、大変な進歩です。
そうやってできないことではなく、まだできることを数えて、感謝する。
まだまだできることはあります。
母がまだできることがあることに感謝して、必ず元通りになってもらうために介護していく、それだけです。
そして、それが私の役目です。