自宅で3年連続祝えた誕生日
2021年2月27日、母は87歳の誕生日を迎えました。
2016年2月に心臓病で倒れたとき、日付けは25日で、ICUで母は誕生日を迎えました。
母の体に何が起きているのか、これからどうなるのか訳もわからず混乱に陥ったのがずいぶん昔のことのようです。
2016年2月から18年5月まで、母は心臓病、大腿部骨折、インフルエンザ、肺炎などで合計11回入院しました。
手帳を見返すと、2017年は誕生日の直前まで肺炎で入院していたのでお祝いどころではなく、18年はインフルエンザで入院中でした。
それが2018年5月から低空飛行ながらも状態が落ち着き、19年、20年、今年と自宅で誕生日祝いをするのが恒例になったのです。
心づくしのパーティー
過去2年は母の大好きなお寿司を出前でとっていましたが、この1年でお米がぎゅっと詰まった寿司飯がのどを通りづらくなり、むせて吐くようになったため、お寿司は食べさせられなくなりました。
その代わりに今年は奮発して、五反田にあるハンバーグで有名な「ミート矢澤」のシャトーブリアンステーキ弁当(7500円!)を東京駅の大丸で買い込みました。
あとは下北沢のお花屋さん「Hanahiro(はなひろ)」で母の好きそうな色のバラとトルコキキョウでブーケをつくってもらい、近所のスーパー内の「FLO」で誕生日のメッセージ付きのケーキを予約。
ダイソーで合計1000円ほどのパーティーグッズを見繕い、2日かけて準備をしました。
ふだんの介護をしながらなので、なかなかの手間で疲れもしますが、80代も後半となり、このようにいつまでお祝いができるもわかりません。
元気に自力でご飯が食べられ、私が祝っているのも認識してくれるこの状態がどんなにすごいことなのか、この5年の経験から痛いほどよくわかります。
入院もしていない。寝たきりになってもいない。ましてや親子水入らずでご飯を食べて自宅で誕生日を祝えるなんて、かなり奇跡的なことなのかもしれません。
母の笑顔が見られるから頑張れる
だからどんなにふだんの介護の疲れがあっても、多少手間がかかっても、自分ができる限りのことはして祝ってあげたい。
今年は昨年と比較して、食卓の椅子に座っていられる時間が少し短くなったという変化も見受けられました。
見た目は変わらないように思えても、やはり一年一年確実に衰えているんだなという発見でした。でもそれが現実です。
いずれにせようれしそうな笑顔を見せてくれたので、恐らく母にとって楽しいひとときになったということにしておきます。
90歳が射程圏内に入ってきて、私もどこまで頑張れるかわかりません。それでもこんな誕生日をいつまでも送りたい。
やはり、人の笑顔って素晴らしい。
この母の笑顔が見られるなら、きっとまだ頑張れると思います。