自殺すら考えた介護とは
先日、歌手の大黒摩季さんの介護に関する記事がインターネットに載っていました。
その見出しは、
「大黒摩季、自殺すら考えた老母の介護を回顧」(「デイリー新潮」から)という大変重いものでした。
どれだけ大変な思いをしたんだろうと興味を持ち読んでみて、ものすごく違和感を覚えました。
その記事の内容が、
「え!? これ介護してるっていえる?」というものだったからです。
断っておきますが、私は大黒さんを批判するつもりは1ミリもありません。
車椅子を押すのが介護?
記事によると、大黒さんのお母さんは北海道で弟さん夫婦と暮らしていました。
でも、弟さん夫婦に限界がきて、10年前に大黒さんが東京で面倒をみることにしたそうです。
「面倒をみる」と書いてあるので、大黒さんがお母さんと一緒に暮らすことにしたのかと思いきやそうではなく、大黒さんはお母さんを施設にあずけました。
けれども、慣れない環境にお母さんは心を閉ざしてしまい、大黒さんに感情を爆発させることもたびたびあったとか。
お母さんの乗った車椅子を押して運河べりを歩いているときに、「このまま一緒に落ちてしまおう」という思いが頭をよぎったこともあったといいます(「デイリー新潮」から一部改変して引用)。
見出しにある「自殺を考えた」という表現は、「一緒に落ちてしまおう」とい大黒さんの言葉を編集部で意訳しています。
それは別にいいのですが、私が一番引っかかったのは同じく見出しにある「介護」という言葉です。
大黒さんの立場になれば、一緒に落ちてしまおうと思うほどつらい気持ちになるのは、わかりすぎるほどよくわかります。
ただ、大黒さんがしているのはあくまで「面会」であって「介護」ではないです。
お手軽な介護記事が多すぎる
このように時折、親を施設に預けた芸能人が親に面会に行くことを「介護」としてしまっている、非常に雑な記事を見かけることがあります。
介護はとてもセンシティブな問題です。
このような見出しを見たら、私のように「どんな介護をしたんだろう」と参考のために読みたいと思う人が少なからずいると思います。
現在、介護中で苦しんでいる人ならなおさらです。
出版社としても自社メディアのページビューを伸ばして収益を上げたいのはわかります。
だから、できるだけセンセーショナルで、より強い見出しをつけて、ページビューの閲覧数を稼ごうとするわけです。
でも、繰り返しますが施設に入れた親の車椅子を押すのは「面会」であって「介護」ではありません。
介護はそんな生やさしく、生ぬるいものではないのです。
今後このように介護にかかわる人に誤解を与えたり、懸命に日々の介護をしている人たちの気持ちを逆なでし、落胆させたりするような記事を出すのはやめてほしい。
介護がなんなのかを理解していない人が、お手軽に介護の記事をつくるのはやめていただきたいと強く言いたいです。