圧迫骨折から1カ月でようやく回復
今日、ようやくかかりつけ医の往診で、母が1日3回、朝、昼、夜と飲んでいた痛み止めの薬を停止していいとお許しが出ました。
10月半ばに腰の骨を圧迫骨折し、寝たきり状態が約2週間続き、寝たきりを脱出してから1カ月と1週間ほどがたちました。
夢中で付きっ切りで介護をしてこの日を迎えられ、本当によかったです。
母は食欲も旺盛で、ベッドの縁に座って一人で食事をとれるまでに回復しています。
ポータブルトイレに移動し、知らないうちに用を足していることも珍しくなくなりました。腰の痛みももうないそうです。
痛みで寝返りも打てなかったときは食欲もなく、このまま衰弱してしまうのではないか、寝たきりになってしまうのではないかという思いに襲われ、当然母もつらかったと思いますが、私もほとんど寝ることができませんでした。
それがここまで回復して本当にありがたいと感じているのは、何度もこちらで書いているとおりです。
自分のために使える時間が欲しい
ただ、人間というのは本当に調子がいいというか、都合がいいというか、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう生き物のようで……。
安心したらまた以前と同じように、介護に対して自己犠牲を感じ、自分で自分を憐れむような気持ちが沸々と出てきてしまっています。
寝たきりになるかもしれない、今回は本当にもうダメかもしれないという危機感を覚えると、なんとか元通りになってほしいという思いで寝ずの介護もいとわずできます。つらくもなんともありません。
どれだけ時間を費やそうが、それこそ時間を惜しんで母にかかりきりになっていました。
それが、こうして山を越え、一応回復したといえるところまできてしまうとどうでしょう。
今度はまた、
「あー、もう自分の時間が欲しい」
「もっと自分のために時間が使いたい」
「もう少し私を頼らないようになんとかなってくれないか」
といった願望や、
「私の自己犠牲はどこまで続くんだろう」
「そもそも、私は自分の能力で達成感が感じられる仕事がしたいんだ」
という疑問や焦りが出てきてしまいました。
そんな思いや気持ちに気づき、感じる自己嫌悪……。
今回圧迫骨折をするまで、私はときどき母にキレたり怒鳴ったりすることもありました。でも今後はもうそういうことはしないように思います。
ここまで衰弱するんだという母を久々に目の当たりにしたからです。
そこまで衰弱した母を見たのに、さんざん納得ずみの介護にまた自己犠牲を感じてしまう──。なんとも厄介なものです。
自分では腹をくくり、母を施設には入れない。自宅で最後まで介護すると決めているはずなのに……。
在宅介護に休みはない
約2カ月ひと息もつけなかった緊張や重圧が解けた反動が一気にきたのかもしれません。
今は大変な山を越えほっとして、安心して、また以前と同じような山道を歩きだした感覚です。
ただ、体にも影響はあり、とにかく背中が張っていて固くがちがちになっているのがわかります。
どれだけ緊張して、この2カ月余りを過ごしていたのか。体は正直です。
本当はここで1カ月くらい休みをとって自分の体や心もいたわりたい。
でも、在宅介護に休みはありません。
あまりに大変だったので、また歩みを進めるのが恐くなっている面もあるかもしれないです。今度はどんな大変なことが起こるか考えただけで憂鬱な気持ちにもなります。
終点がどこなのかはわかっていて、そこに至るまで私はまたこれからどう介護していくのか。
やはり、その場、そのときにならなければ何もわかりません。
でも、大変なときがくればまた頑張れる。
今までだってそうだったんだし。
今は少し流れに身を任せてみようと思います。
これまでやってきたこと、やってこられたことに目を向けて。
きっと私は全うできるはずだと自分を信じます。