来年2月で介護生活6年目に突入
2020年も師走に入りました。
今年はまさにコロナ一色の年になってしまいました。2月に横浜港に到着したダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が起こったとき、誰がこれほどまでの事態になると予測したでしょう。
4月16日に全国に緊急事態宣言が出され、そこからはコロナに感染しないように「3密」を避ける、新しい生活様式が始まりました。
感染が「第3波」の今、再び緊急事態宣言が発令される可能性も出てきています。
いったいこのウイルスの終息がいつになるのか。まだワクチンの開発がなされたばかりの段階で、見通しはたちません。
そんな2020年の年末、私はまだワンオペ介護生活の真っただ中にいます。
来年2月になれば、この介護生活も6年目に突入です。
毎年、さまざまな困難を母も私も一緒に乗り越えてきました。
今年は10月半ばまで、低空飛行ながらもそれなりに安定した日々を過ごすことができていました。
週2回のデイサービスと月1回1週間ショートステイに行ってもらうというサイクルでなんとか回っていたのです。
それが10月半ばに腰の骨の圧迫骨折で、2週間ほど寝たきり状態に。1カ月半ほどで座って食事がとれるようになるまで回復した。←今ここ
というのが今年の概要です。
施設にいたら面会もできなかった
1カ月近く寝たきりになったことで、これまでの2年半、母が入院もせず一人でポータブルトイレで用を足せ、自力で食べられることのありがたさにすっかり慣れ切っていた自分に気づきました。
慣れというのは、どんな状況でも恐いとしみじみ痛感させられる出来事でした。
そして、コロナウイルスに世界中が影響を受けた一年という視点から介護について考えた場合でも、私はなんとありがたい生活を送れていたのかと改めて思ったのです。
もし母が特養などの施設に入っていたら、また入院していたら、面会はほぼできません。
幸い母がお世話になっているデイサービス先とショートステイ先の特養では、コロナは発生せず、通わせ続けることができました。
これもまず大変ありがたかったです。
お父様を施設に入所させている友人は、先日約1年ぶりに面会ができたと言っていました。
彼女の場合、お父様の認知症が相当進んでいて、彼女を誰だかもう認識できないところまできているので、このような状況になっても仕方ないと半ばあきらめるように話していました。
施設に入所している場合でも、入院している場合でも、面会できない日が続き、どんな様子かもわからない。ある日突然、容態が急変したとか看取りの時期になりましたと連絡がくる……。
そういうケースが間違いなくあるわけです。
私なら毎日をどんな思いで過ごしたらいいか、あまり想像したくありません。
コロナ禍だからこそあった気づき
私は母を最後まで自宅で介護するとある時点で決意したので、施設に入れる選択肢はほぼありませんでしたが、それでも「施設に入れたらラクだろうな」とか「もし入れたら、私の生活はどんなふうになるんだろう」と半ば妄想のように考えることはあります。
そのくらい考えてもいいよねといった意味での、想像上のちょっとした現実逃避です。
ただ、母はまだ私のことがわかるし、話もある程度通じる部分があり、自宅にいられることに安心し、うれしい気持ちでいるのは伝わってきます。
その安心感や心地よさも、母がこうして心身を保っていられる大きな要因になっていると思います。
だから、母が安心して穏やかに自宅にいられてる状態で私が母を介護していることは、ものすごくありがたいのだと思うのです。
そのありがたさをよくよく心に留めながら、穏やかな年の瀬を母と迎えたいです。
介護が、コロナ禍が、さまざまな気づきを私に与えてくれています。