食べることと排泄がすべて
母が10月半ばから腰の痛みを訴えだし寝たきりになってから、1カ月と2週間ほどが経過しました。
ようやくここへきてこれまでを振り返るような文章が書けるほど母の状態が安定してきて、少しほっとしてパソコンの前にこうして座れています。
寝たきりになってから数回アップした記事でも繰り返し書いたように、何をもって安定したといえるのかといえば、一人でポータブルトイレで用を足せ、誰かが食べさせなくても一人でお箸やスプーンを使って食事がとれる。
とにかくこの2点につきます。
食べることと排泄。
本当にここにいき着くのです。
命取りになる要素はどこにでも転がっている
母の腰の痛みは、腰の骨がいつの間にか圧迫骨折をしたのが原因だったとして(本当にそうだったか定かではないので)、寝返りが打てるまでに2週間かかりました。
痛みのせいか食事もほとんど受け付けず、食べることが大好きな母が、りんごを2分の1個、おかゆをお茶碗4分の1くらいを食べるのがやっとという日もあり、このままではどんどん衰弱し、寝たきりどころか最悪の事態もあるかもしれないと思ったほどです。
この4年半を振り返っても、幾度も不測の事態はありましたし、何が命取りになるかはわかりません。
もし水分を取らせるのにむせて誤嚥性肺炎になってしまったら、尿や便がうまく拭き切れていなくて感染症になってしまったら……。
いくらでも命取りになる要素は転がっているのです。
微動だにできなかった2週間は、1日24時間、朝昼夜、夜中の区別なく、私は3時間寝ては起き母の様子を見に行っていました。
排泄はヘルパーさん方にお任せして、私は水分を取らせること、なんでもいいから少しでも食べ物を食べさせることに専念するようにしました。
ヘルパーさん方の親身な協力もあり、2週間を過ぎてようやく寝返りが打てるようになり、本当にほっとしたのがもうすでに遠い日のことように感じられます。
寝返りが打てるようになるということは、イコール痛みが引いてきたということで、そこからは回復も早く、ポータブルトイレに自ら行きたいと言うようにもなりました。
86歳という年齢でも人間は回復するのだと人間の持つ回復力を見せられ、素直にすごいと思いました。
これも以前何度か書きましたが、母は生まれてこのかた歯医者にかかったことがありません。
これも回復力に大きく影響していると思います。
痛みが引いてからは一気に食べる量が増え、テレビで食べ物のCMや番組を観ると、
「ピザがおいしそう」
「おうどんもおいしそう」
と何を観ても反応するようになりました。
ここまでくれば、一安心です。
今回、圧迫骨折という予想もつかないことが起こり(いつもそうですが)、正直この1カ月と2週間、無我夢中で何をどう過ごしたかあまり覚えていません。
一つ自分を褒めるとすれば、今回のことが起こるまで私はたびたび母にキレていました。
「もういい加減にして!」
「それ以上、わがまま言ったらもう何もしないからね!」
「全部自分でやって!」
などと、自分のやり切れない気持ちをぶつけることもしばしばでした。
でも、本当に今回ばかりはもうどうにもならないかもしれない。
そんなことが頭をよぎる事態になると、もう母に当たったり、キレたりするなんて、あり得なくなるのです。
だから、私の介護史上一番優しくできている自分を褒めたい……。ちょっと論点がズレているかもしれませんが(笑)。
ともかく、今までの在宅介護のなかで一番過酷な日々を過ごしたように思います。
日常のなんでもないことのありがたさ
でも同時にこれは大きな私へのプレゼントになりました。
いつどんなふうに母が最後を迎えるかはわかりませんが、いっときでも、
「ひょっとしたらもうダメかもしれない」という事態に遭遇して、これまで入院せずにいられた2年半の日々のありがたさを思い知ったからです。
日々のありがたさに気づかない──よくある話かもしれません。
ただ、母の場合は常に生死がかかっている状況で感じるありがたさです。
入院せずにいられた2年半で、私は決して気が緩んだわけではないのですが、母が一人でご飯が食べられ、トイレに行けることのありがたさに気づかなくなってしまっていました。
その大切さを改めて教えてもらえて、本当によかった。
ここから私は二度と母に悪態をつかないと思います。
母が「おいしい」と言って笑顔で物が食べられ、私が「そう、よかったね」と言ってあげられることの幸せ。
そんな一見些細であるようなことが、どれだけ幸せで、ありがたいか(ちょっとTHE虎舞竜の「ロード」風ですが。笑)。
これからはまたなにかが一段階上がった心持ちで、母に感謝の気持ちを込めて介護していけたらと思っています。