最初の1週間は寝返りも打てず
母が腰の骨の圧迫骨折をして、ほぼ寝たきりの状態になってから1カ月がたちました。
母は2018年4月に肺炎で入院したのを最後に、自宅での生活を2年以上続けてこられました。それがここへきてコロナもありながら、新しい生活様式を余儀なくされることになったのです。
母は要介護4でほぼ歩けず(移動は車椅子)認知症はあるものの、一人で介護ベッドの横に置いたポータブルトイレで用を足せ、その前にある食卓の椅子に座り、食事をとることができていました。
一人で用を足せ、ご飯が食べられる。
これができるかできないかが介護者にとっても介護される側にも非常に大きく、在宅介護の分水嶺になるかと思います。
母は圧迫骨折により、まず起き上がることができません。
最初の1週間は寝返りも打てなかったので、私は速攻で介護ベッドを自動で体位を変えてくれるタイプのものに交換しました。
顔色がどんどんどす黒くなっていき、ひょっとしてこのまま動けず本当に寝たきりになってしまうのではという最悪のパターンも想像しました。
1カ月たち、ようやく今日で4日連続ポータブルトイレに介助ありで行けるまでに回復しました。
本当にほっとしています。
3時間置きに様子を見に行く
ただ、私の負担はこれまでの在宅介護の期間で最大になってしまいました。
ほぼ1日、母の介助をするために時間を費やし、24時間中、朝昼夜、夜中の区別なく3時間寝ては様子を見に行くという生活が続いています。
なぜかというと体に必須の水分補給もありますが、一番は体の向きやベッドの背の角度を変えるためです。
上半身、とくに首の角度がある一定時間固定されてしまうと、体勢が苦しく、つらくなってしまうようなのです。
体も固まってしまいよくないとのことで、訪問診療をしてくれているかかりつけ医からは2時間置きに体勢を変えるように言われましたが、さすがにそこまではできず3時間を目安にしました。
普段の巡回ヘルパーさんも1日5回入ってくれているので、必要のあるときに服薬やオムツ交換で体を動かせます。
ベッドの背上げで角度をこまめに変え、体の位置が落ちてきたらベッドの上部まで体を引っ張り上げる。その都度、水分を与える。
これ以外に食事もさせますし、トイレも促して介助してさせなくてはいけない。
大変は大変ですが、私が食べさせるとはいえ、食べられるだけすごいことです。
トイレだって、介助ありで行けるようになった。
これがどれだけすばらしいことか。
私は皮肉にもというか、当然といいますか、これまでよりずっと母に対して優しくなりました。
つまりは、それくらい危機感があるからです。
この生活になるまでは、今までの生活のありがたさに気づきませんでした。
だいたいそういうようにできているんだろうなと思います。
今は母の手足になろう
一口に介護といっても、100人いれば、100パターンの介護があります。
だから、なにが大変で大変でないと一概には言えません。どの家庭にもそれぞれの事情がありますから。
そして、私にもこの4年半以上、本当にいろいろな段階がありました。
心臓手術の成功だけに集中していたころ。尿路感染症でせん妄状態になり、そこからの脱出だけを願ったころ。大腿骨を骨折し、とにかく寝たきりだけにはならないで歩けるようになってほしいとリハビリ病院に通ったころ。
肺炎、インフルエンザでも何度も入院しました。
そのときそのとき夢中で、とにかく母の回復を、それだけを願ってやってきました。
そして、入院しなかったこの2年半があり、その日々のなかでもいろいろな苦労はありましたが、母の状態は落ち着いていたので、そのありがたさが当然になり、あぐらをかいていた部分があったと思います。
ただ、どの状況であっても介護は介護。落ち着いていたって、どの段階にあったとしても介護者は大変です。
いまの段階は、これまでの状態のありがたさに気づかせてくれ、在宅介護をしだしてから私史上最高に手厚い介護ができる時期ととらえています。
この落ち着いていた2年半、
「もう、なんでこんなこともできないの!」
「あー、もう時間ばっかりとられて」
と思うときもありました。
今はそのときの何分の一しか母にはできることがありません。
だからこれまで以上に私が母の手足になるしかない。
甘やかしている部分もあるかもしれませんが、何もしていないのに骨にひびが入るところまで母の体がなってしまったのは事実です。
その事実に対して、私はできる限り手厚く介護していこうと、自分のこれからがとか、やりがいのある仕事が早くしたいとかはとりあえず置いておいて、今はただ母に優しくしようと思う気持ちしかありません。