ショートステイに1日行く日がずれただけで……
2017年12月に母がショートステイを利用しだして以来、初めてテコでも動かないという激しい抵抗があり、結局施設に行く日が翌日にズレるという思わぬ事態で、私はすっかり消耗してしまいました。
行くはずだったものが行かなくなることで私にかかったストレスは予想以上で、まずその行かなくなった1日をどう過ごしていいか、途方に暮れました。
ショートステイに送り出したあとの解放感は、在宅介護をしている人にしかわからないものだと思います。
介護人はこのショートステイがあるから在宅介護を続けていくことができる。そのくらい在宅介護にとってショートステイは重要なものなのです。
1日24時間、母が家にいると思っただけで、気の休まることはありません。いつ何が起こってもおかしくはない。自分が見ていないときに転倒するかもしれないし、急に呼吸困難な状態になるかもしれない。
これまで実際に何度も転倒し、呼吸困難になったことがある経験から、私は過敏さと、どうにかなるさといった大胆さを持ち合わせるようになっていました。その2つを同時に自分の中に持つことは、あまり健全とはいえないと思います。分裂していますから。
だから、母が家にいる以上、私は心からくつろぐことはないわけです。
貴重なレスパイト(休息)がたった1日延びただけで私の神経は激しく混乱しました。
夜中の2時半、物音で起こされる
昼11時半ごろ行かないことが確定すると、〈お昼ご飯をあげないと〉といういつもの指令が脳におりてきました。
4年半ですっかり介護脳になっていますから、自然におりてくるのがなんともやるせない……。
何をどう出したかも忘れましたが、昼ご飯を食卓に置いて、ヘルパーさん宛てに、
「今日送り出せばという思いでやってきましたが行けなくなり、もう限界です。明日(施設に)行かせるまで何もする気になれませんので、お願いします」
という置き手紙と夕食の指示を書いたメモを玄関に残し、自室に引きこもりました。
でも、悪いときには悪いことが続くもので、夜中の2時半、ガタガタという音で目が覚めました。玄関のほうまで母が歩いて行っている気配がしたのです。
私は自宅で母に常に何が起こるかわからないと思っているからか、完全に寝入ることができません。「ハッ」と飛び起き、玄関のほうまで行くと、母がよろよろと歩いてきていました。
母は15センチほど段差のある玄関のたたきに誤って降りないように仕切ってある柵の寸前まで来てしまっていました。
「ダメだよ。危ないよ」
母を刺激しないように声を掛けます。
認知症の人には大声を出したり、怒鳴ったりして刺激しないのが鉄則です。
肩を押さえてベッドへ連れて戻そうと、パジャマのズボンの腰のあたりを持つとパジャマのズボンが尿でびしゃびしゃに濡れていました。
こちらの気はますます萎えていきます。
なんとかベッドまで連れていき、パジャマの上下、オムツと尿漏れパッドを泣きながら取り替えました。
電話口の向こうの緊急コール
ヘルパーさんがいつも一日の定期巡回の最後に入ってくれる時間は、午前2時ごろです。私はこのアクシデントが終わったあと、ヘルパーさんの事業所に少しクレームめいた電話をかけてしまいました。
「2時に来てくださったときに、どうしてパジャマやオムツを替えてくれなかったんですか?」
対応してくれたヘルパーさんの、
「母が着替えを拒否したから」という返事で当然納得です。そんなときに着替えは無理に決まっていますし、これもよくあることです。
ヘルパーさんと電話でやりとりをしていたとき、電話の後ろで緊急コールがかかってきたのが聞こえました。
「はーい、どうされましたーーー?」
別の巡回している家で問題が起こったんでしょう。
「え? 車椅子に足が挟まった? わかりました、急いで行きますからねーー。待っててくださいねーー」
独居の人が自分でかけてきたのか、家族がかけてきたのかで状況は違いますが、とにかく真夜中に大変なことです。
うちでは母は玄関先で転倒もせず事なきを得、着替えもできたんだから、何の問題もなかったわけです。
それでも、
「どこも地獄なんだな……」
思わずそんな言葉がこぼれました。
私はすっかり目がさえてしまい、4時近くなっても眠れませんでした。滅多に使わない睡眠薬を飲むと、いつの間にか眠りに一気に落ちました──。
そしてハッと気付くと午前11時。飛び起きると、昨日の置き手紙を見たヘルパーさん方が気を利かせて私には声をかけず、すでに母をショートステイ先へ送り出してくれたあとでした。
今日こそは行ってくれるだろうかと気をもむこともなく、すべては終わっていたのです。
家中がしんとして何の気配もなく、すべてが終わっている──。こんなふうに解放感がやってくるのは初めてで、私はただ呆然といつもとは違った形で訪れた解放感を味わったのです。