「何かおいしいものが食べたい」
おひとりさまワンオペ介護も4年半を過ぎ、巡回型の訪問ヘルパーさんに来てもらうようになってから、私の介護の負担は劇的に減りました。
母は2018年4月から入院をせずに2年半がたち、ずっと自宅で過ごせています。私もずいぶん介護に慣れました。
それはもちろん、介護にまつわる一通りのありとあらゆる経験を積んだことが大きいです。
また介護に関する情報と、それだけではなく精神的に強くなる考え方、ラクに生きていける思考法などを書籍やインターネットで学んだことも大きく、それでどうにか今があります。
それでも、いまだに課題となっている母の言葉が2つあります。
一つは、
「何かおいしいものが食べたい」です。
私はこれまでも何度か書いているように、母の食べる物にエネルギーを割いてきました。
母のように歩くのもままならない状態になってしまうと、「食」しか楽しみがなくなってしまいます。
人間、最後に残された楽しみは食だとつくづく感じるのです。
もちろん、母のように固形物が食べられない状態の親御さんや配偶者を介護をされている方もいるでしょう。
母は生まれて一度も歯医者に行ったことがないという強者です。
虫歯にならない稀有な体質なんだと思います。
2年ほど前に前歯の1本が欠けてしまった以外、すべて自前の歯でそれは大変な強みだと思います。
なんでも食べるし、好き嫌いもなし。
りんごもおせんべいも難なく食べられます。
塩分が強い食べ物を好むので、訪問医からたびたび注意を受けますが、私はあまり気にせず母の好むものを食べさせています。
この年まで生きてきて、唯一の楽しみの食事を制限するのはどうかと。
そのときに食べたいものを食べればいいし、私はできるだけ食べたがるものを出す。
それが私にできる最大限の親孝行だと勝手に思い、自分の役目としています。
毎日、母がぼそっとでも言った
「〇〇が食べたい」という言葉は聞き逃しません。
耳に入ったら、その日か次の日には買ってくるようにしています。
白いご飯を出そうとしていても、その日の気分でおかゆが食べたいといえば、すぐに対応して10分かけて普通のご飯に水を足して煮込んでおかゆにして出します。
コロナ前までは、仕事に出かけるたびにデパ地下で和菓子か洋菓子のどちらかを買うようにしていましたが、出かける回数が激減し、デザートと間食は果物かハーゲンダッツのバニラアイス、銀座あけぼのの小分けのおせんべいが定番になりつつあります。
それ以外にもスーパーに行けば、必ず母の好きそうな食べ物を買うのは欠かしません。
それでも母は、
「何かおいしいものが食べたい」と言います。
ほとんど口癖です。
そのたびに、これだけやっても母の要求は満たされないのかと、やるせない気持ちになってしまう。
母には嫌味を言っているとか、そんな気持ちはないのでしょうが、それを受け流せない自分の小ささがイヤになります。
楽しいことはないかと言われても……
課題となっているもう一つの言葉が、
「何か楽しいことないかな」といった類の言葉です。
これも母はなんの他意もなく、心に浮かんだことをただ口に出しているんだという、それは頭では理解できます。
「もう生きていても仕方ない」
と言うこともあり、まだなぜかこちらのほうが対処できるのです。
その言葉は半分本当で、半分本当ではないと思うから。
このように不自由だらけ、ただベッドの端に座ってテレビを観るだけの毎日で、そう思うのも無理はない。
でも、
「楽しいことはないかな」と私に言われても……。
放っておけばいいのでしょうが、それがまたすんなりできません。
おいしいものが食べたくて、楽しいことを望んでいる母。
生きていれば、当たり前のごく自然な欲求です。
でも、そのためのアクションを取ることが母にはできない。
母がしたいことは私が母の意思をくみ取ってするしかない。
私が動かなければ、どうにもならないのです。
と、自分で自分を追い詰めてつらくしているのは、こうして文章にするとなおのこと客観視できてわかるのですが……。
そんな自分の勝手な思い込みでも、ひとたび感じてしまうとストレスともプレッシャーともつかない重しが頭や肩にずしっとのしかかってくるような気がします。
私には私の人生がある
私には私の人生がある。
人生をなんておおげさなと思われるかもしれません。
でも介護に使う時間は紛れもない私の人生の時間です。
私は私にできる範囲のことをするしかないんだ。そうやって、なんとか母との間に線を引こうとします。
食べ物については、十分すぎるくらいやっている。
でも、楽しいことについては難しい……。
さぞ退屈で、つまらない毎日なのは百も千も承知だけど、私にはどうしてあげることもできない。いや、そこまでする気が私にはないのです。
「何をしたら楽しい?」
と聞いてあげればいいのかもしれません。でも聞いてしまうと私はそのために何かをまた一からしなくてはならず、自分の時間を使わなければならない。そう考えただけでストレスになってしまうので、敢えて聞くことはしません。
きっと、もっと人に会いたいんだろうな。
さみしいんだろうな。
その気持ちは十分わかってはいます……。
これ以上は自分にはできないという線をどこかで引かないと、介護は続きません。
母は車椅子で私と一緒に近所の緑道や商店街を「散歩」するのが大好きなので、
「夏が過ぎて、季節がよくなったら、また車椅子で散歩に行こうね」
そんなふうに声をかけるのが精一杯です。
外出するには冬は寒く風邪をひいては大変なので、春と秋が私が母を車椅子で外に連れ出し、「楽しいこと」が体験させられる貴重な時期です。
ごめんね、それしかしてあげられなくて。
してあげたいけど、してあげられないの。
介護をしていると、終始心は分裂しています。