私が母を施設に入れない理由

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母の最後まで自宅にいたいという思い

介護には、もちろんそれなりに費用がかかります。

母のように要介護者(母は要介護4)で在宅介護となると、介護保険を目いっぱい有効に使わなければ損ですし、使わなければやっていけません。

在宅介護を続けているのは、契約金だけで何千万円もする老人ホームに入ってもらうのは、うちの財力では到底無理ですし、母の最後まで自宅にいたいという強い希望と、それを叶えてあげたいという私の思いもあります。

父は2013年に84歳で前立腺がんで亡くなりましたが、最後の半年間は在宅医療を受けながら自宅で看取ることができました。

だから、父と公平に母も最期まで自宅でみたいという気持ちもあります。

それでも、度重なる手術と入院。どんどん認知症が進行する母と、母に対応する私の疲弊ぶりを見た友人や親戚を含め、何度周囲の人から、

「もう施設に入れたら?」
「今まででも十分よくやったよ」
「もう無理だよ、限界だよ」

と言われたかわかりません。

巡回型のヘルパーサービスに出合いわかった「人に任せる」ということ

それでも、なぜ私が母を頑なまでに施設に入れないか。

それは、自分のためです。
もはや母のためではありません。

最初の3年はあまりに入院の回数が多く、落ち着かなかったというのもあります。ちょっと家にいてまた入院という日々が続きました。

認知症は進行していくし、2017年3月に大腿骨骨折をして手術をし、リハビリ病院に3カ月入院して退院したあたりから、私も心身ともに疲れきっていきました。

「まだ続くの? いったいどこまで頑張ればいいの?」

という思いが頭をよぎるのです。

誰の目から見ても「潮時」だったと思います。

そう思い、本当にどうしたものかと悩んでいたときに、巡回型のヘルパーサービスをケアマネさんから紹介してもらったのが大きなターニングポイントでした。

それでぐっと自分の負担が減り、「人に任せる」大切さがわかったのです。

そんなときに、少し考える余地ができたからか、

なぜ自分が介護をしなければならないのか。
自分は何のために生きているのか。
自分の人生って何なのか。

そんなことを考えるようになったのです。手当たりしだい介護や人生についての本を読んだり、ネットで情報を読み漁ったりするうちに、今、巷間で時折見聞きする「自分軸で生きる」という思いを強くしました。

後悔だけはしたくない

私は母のために生きているのではない。

これは当たり前のことですが、介護をしていると介護者は自分の人生を生きていない、自分の時間を奪われているという被害者意識に強烈に襲われます。これは介護を経験する誰もが抱く思いではないでしょうか。

だからこそ、自分の人生の主役は自分でなければいけないし、そうでなくてはと強く思ったのです。

そう考えたとき、私は自分のために母を施設に預けないという決意がはっきりできました。

これからも私の人生は続いていきます。そのなかで母を施設に入れてしまったという後悔を引きずって生きていくとしたら……。

絶対にそれだけはいやだ。おかしいかもしれませんが、介護をするよりイヤだと思ったのです。
後悔するくらいなら、介護くらいやってやる。

そう決意したら、文句は言わない。愚痴は言わない。最後までやり遂げようと心が決まったというのが、私がなぜ母を施設になぜ入れないかに対する答えです。

お恥ずかしながら、それでもくじけることはしょっちゅうだし、愚痴もときには言ってしまいます。心もボキボキに折れます。

でも、軸だけはブレないので、なんとかやっていける。

「イヤなら、施設に入れれば? でも後悔するのは自分だよ」
という言葉を自分に投げかければ、即解決。

自分の軸を持つ。人生の主役は自分だと意識する。

どんな問題にぶち当たっても、その思いさえ持ち続けられていたら、きっと道は開けていくと思うのです。

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