尿路感染症は治ったのにまるで廃人同然に
2016年5月に母は心臓の手術を受けました。「TAVI(タビ)」という経カテーテル大動脈便置換術で、ほとんど動かなくなった心臓の弁を人工弁にしたのです。
医者からは早く手術をしないと危険な状態だと言われており、7時間ほどに及んだ大手術でしたが、無事成功しました。
執刀医の先生が
「ギリギリだったよ」と手術後におっしゃった言葉が今も大変印象に残っています。
母は同月に退院し、9月には近所の行きつけの和食屋さんに歩いて行けるほどまで回復しました。
ところが、同じ月に尿路感染症にかかってしまい入院。ここから母は満足に歩くことができなくなってしまったのです。
本当の原因はわかりませんが、「せん妄」状態に陥ってから明らかにおかしくなってしまったのは事実です。
入院から10日ほどで尿路感染症の症状はなくなったのに、一方でせん妄が出現し、日増しにひどくなっていきました。
3週間前には自分の足で歩いてお店まで行き、外食までできた母が、まるで廃人のようになってしまったのです。
目はうつろで呂律が回らない。幻覚をいつも見ているようで、壁に向かって誰でもない誰かにずっと話しかけている。
車椅子に座っても、姿勢を真っすぐ保つことができず、座ったまま上半身が前に折れるような形で沈み込んでいく。
病院はせん妄の状態がこれ以上続くようなら、精神病院に転院させるといってきました。
私は何が起こったのかわからずうろたえるばかりで、それはあんまりではないかと強く抗議もしました。
どの病院に運ばれるかも運
いったいなぜそんなことになってしまったのか。高齢者によく起こる感染症でここまでの状態になることがあるのか。
適切な薬が処方されたのかと担当医師を疑いもしました。
(正直、いまだに疑っています)
病院は主症状が治癒し、せん妄状態が出ているだけの人間をいつまでも入院させてはおきません。
そもそも、母が病院に運ばれたとき、どんな病院に運ばれるか、どんな医師にかかるかは救急の場合選べないし、そういうところにも縁というか、運というものはあるような気がします。
母の場合、心臓の手術をしたこともあって、手術をした病院に運びましたが、それがよかったのか、悪かったのか……。
そのときは自宅で39度くらいの熱を出し苦しんでいて、私は心臓で何かが起こったのかのかもしれないという判断しかできませんでした。
母の身体に起こるのは、すべて初めてのことですし、常にそのとき、その場の判断になってしまうのは仕方がありません。
それが生死を分ける判断になるケースもあるのでしょうが……。
とにかく、3週間近く母のせん妄状態は続き、私は見舞いの傍ら、地方の神社にお百度参りにも行きました。いてもたってもいられず、藁にもすがる思いでした。
それほど母の身に何が起きたかわからず、神頼みするくらいしかなすすべがなかったのです。
そのくらい自分でも訳がわからず、混乱していました。
歩けなくなり、認知症も一気に進行
私の思いが神様に届いたのかわかりませんが、突然、せん妄状態が解けました。
ある朝、母が看護師さんに頼んだようで、病院から電話がかかってきたのです。
「ケンタッキーが食べたいから買ってきて」
電話口の母がこれまでの意識が朦朧とした母とは明らかに違う口調だったので、もしやと思い話しているうちに、せん妄状態から抜けているのを確信しました。
あのときのうれしさは今でも忘れません。
あと1週間遅かったら……母は精神病院に転院させられていたかもしれません。
今思い出してもぞっとする出来事です。
せん妄が解けたとはいえ、母は残念ながらそこから入院前の母とは明らかに変わり、多少あった認知症も一気に進んでしまったように感じました。
そしてさらに自由に歩くこともできなくなってしまったのです。
せっかく心臓の大手術を乗り越えたのに、尿路感染症でここまで一気に坂を転げ落ちるように歩けなくなり、認知症も進んでしまうとは。
せん妄の恐ろしさと、高齢者が感染症にかかる恐ろしさを痛いほど思い知りました。
以降、母は繰り返し、肺炎、インフルエンザにかかります。それでもなんとか乗り越えてくれるのですから、その生命力はたいしたものです。
私もこの一件で学習したからか、母は2018年4月に肺炎で入院して以来、感染症にはかからず、入院もしていません。
感染症の恐ろしさを知っているので、コロナになど絶対にかからせるわけにはいきません。
母が心から望む、最後まで自宅にいたいという思いをかなえるためにも。