非現実の言葉ですり減っていく介護者(上)

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現実にありもしないことを言い続ける

私が介護でつらいポイントはいくつかあって、これまでも何度か書いてきています。

例えばそれは認知症からくる、現実にはありもしない状況の言葉を言われることです。

認知症だから仕方ない。頭では重々わかっていても、実際に投げかけられる言葉は現実にはありもしないことが多いです。

しかも、家の中で母と私は一対一。

母はずっと覚めない夢の中にいるようなもので、私は介護という現実の中にいる。

同じ空間にいながら、交わることのないパラレルワールドを生きているようなものだと時折思います。

だからといって母の人としての尊厳を傷つけてはいけないと思い、私が母の前で感情をあらわにすることはそれほどありません。
(1年に何度かはキレまくりますが)

それでも、その場をその都度しのぐにはそれなりに胆力がいります。

母が何もかも不自由な生活をしていて、やるせない気持ちをぶつける場所が私にしかないのは、わかりすぎるほどわかっています。

体がだるい。体が思うように動かない。外へも自由に出かけられない。部屋の中でさえ歩けない。

いつ訪れるかわからない死に対する恐怖や恐れも抱えているでしょう。

そこまで母について理解しているのに、母に対してマイナスの反応をしてしまう自分は、まだまだ人間ができていないとも思います。

でも、母の訳のわからない言動が毎日となると、少しずつボディーブローのようにきいてきて、結果精神がすり減り、消耗していってしまうのです。

介護者の気持ちを逆なでする言葉の数々

それと厳しいのは、母に私が仕事をしているという概念がないことです。

母の生活費、介護費は母の年金でまかなっていますが、私の生活費は私が稼がないと入ってきません。

母は私が自分の世話をしてくれるだけのために存在しているとでも思っているのか、そこのところはよくわかりませんが、「娘が仕事をしないと生活していけない」ということはもうわからないようです。

これは母が悠々自適な専業主婦であったことが影響している部分もあるかと思います。

母の介護費には毎月それなりの金額がかかります。介護保険を使っても実費で払う金額もかなりあり、父の残してくれた貯金を切り崩して、介護費と足りない生活費に充てている状況です。

母は自分でお金を使っている感覚が全くないので、

「こんな生活していると、お金がたまって仕方ないでしょう」

などと、こちらの気持ちを見事なくらい逆なでするようなことを言ってくるのです。

今でこそ慣れましたが、最初のうちは本当に軽く殺意を覚えていました。

私が自分のしたいように仕事もできず、毎月どれだけいろいろな思いをして、お金のやりくりをしているか。もう理解できないのはわかるけど、またぶつけようがなくやり切れない怒りや憎しみがわなわなと胸の中にわいてきます。

経費節減のために新聞を購読するのもやめ、母に何度やめたと言ってもわからず、

「新聞が読みたい。夕刊はまだ?」

と聞いてくる。

それから、父が亡くなっていることを理解しているときもありますが、最近はそうでもないようで、

「パパはどこへ行ったの?」
「パパはいつ帰ってくるの?」

と言ってくることもある。

わざと現実と逆のことを言っているのか

今回のコロナの件など、わからなくて当たり前です。

テレビを見ながら、

「コロナって何?」

と何回聞かれたかわかりません。

(まだ疑問に思うだけマシかもしれません)

「どうしてみんなマスクをしているの?」

それも気になるのでしょう。

よく晴れた日なのに、

「雨の音がしているわね。今日はお天気が悪いのね」

私の外出時に、ワンピースを着た後ろ姿を見ながら、

「後ろ(に穴)が大きく開いてて、背中が丸見えよ。みっともない」

(穴など一つも開いていません)

私の顔を見て、

「目の下が真っ黒。真っ黒い何かがついている。とりなさい」
(もちろん何もついていません)

ありもしない「ひげがある」と言ったこともありました。

〈わざとなの?〉

と思うほど、よくもまあこれだけ現実と逆のことを言えるものだと、あきれて笑えるような大らかさが私にあればいいのですが、残念ながら心底疲れ、腹が立ち、振り上げたこぶしをどこにぶつけていいかわからない気持ちになるのです。

(下)へ続く。

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