介護は毎日が想定外
介護には、イレギュラーな「事件」がつきもので、毎日のように想定外のことが起こります。
ある日の事件をご紹介します。
母は介護ベッドを基点に、1メートル以内にあるポータブルトイレと食卓の3点をどうにか移動して日常生活を送っています。ただ、その生活範囲から出てしまうことがときどきあります。
家具をつたい歩きして「遠出」してしまい、それが事件の要因になるのです。
ある地点で力尽き、そこで座り込んでしまったら最後。そこから動けなくなってしまいます。そして、私の介護能力でベッドに戻すことはできません。
発見しだいヘルパーさんに連絡し、助けを呼びます。私が発見し、ヘルパーさんが来てくれ、ベッドに戻すまで1時間半はゆうにかかります。
あるときは介護ベッドの下にある金属部分に足のすねをぶつけて、すねが丸太のように腫れあがってしまったことがありました。
すぐに訪問看護師と、往診にきてくれているかかりつけ医に電話してどうしたらいいか聞き、薬をどうするか、処置をどうするかを決めていきます。
訪問看護師はかかりつけ医のクリニック所属ではなく、ヘルパー事業所の所属なので、別々に連絡しないといけないのが厄介です。
情報の共有がうまくできないものかと、いつももやもやするところではあります……。
「自分のことじゃないのになにやってんだろ」
ワンオペ在宅介護が厳しいのは、当たり前ながらすべては私を経由しないと何事も進まない点にあります。
どんな小さなことでも私に連絡があり、どうするかを判断して決めなければなりません。
一日何度もいろいろな人とやりとりしていると、誰が何の連絡をしてきたかわからなくなることもありますし、
〈自分のことじゃないのになにやってんだろ〉
と、バタバタしている自分を覚めた目で俯瞰し、そんなふうに冷静に思ってしまう自分がいます。
母の様子を見て、どんなふうに痛いのか、つらいのかを聞き、病院や介護関係者に伝える。常にそんなことばかりの約5年間でした。それらに私はどれだけ時間を費やしたんだろう……。
母のためにしてあげたいという思いでやっているのは大前提です。
けれど、やっぱり自分のことではない。
自分で言って!
自分で説明して!
自分でやってよ!
ときどき大声で叫びたくなります。
自分の人生の貴重な時間を台無しにしているんじゃないか
これってあなたの人生だよね。
私があなたを生きているわけではないんだよ……。
そんな思いがどうしても出てきてしまうのです。
私が今の母の人生を生きているような、二人分の人生を生きているような気がしてきてしまう。
そしてまた、私は今自分の人生を生きていないという思いも沸々とわきあがってきてしまいます。
このままでは、介護をしている限り私は自分の人生を生きられず、半分母の代理のような人生を生きることになってしまう。
結局、それって誰の人生も生きていないんじゃないか。
自分の人生の貴重な時間を台無しにしてるんじゃないか。
そんな危機感が頭をもたげてきてしまうのです。
自分の人生を生きなければ、無意味で何もない空白の時間がただ無為につづくだけ。
そんな思いがわいては沈み、消えてはまたわいてくる──。そんなぼんやりした心象風景と一緒に介護は続いていきます。